2003年、夏。南部アフリカのアンゴラにある、戦争孤児やストリートチルドレンの保護・教育施設「子どものまち(Children's Town)」を訪ねた。
 1975年の独立以来2002年まで、27年間にわたり内戦が続いたアンゴラでは、子どもたちにも大きな犠牲が強いられた。18才までの子どもの1.3%が両親を失い、10人に一人が片親を亡くしている。少年兵の数は9000人以上確認されており、小学校を修了する子どもは二人に一人に留まっている。
 「子どものまち」は、デンマークのNGO、ADPP(英語名DAPP: Development Aid from People to People)が運営する施設である。内戦で親を亡くすなど困難な状況にある十代の子どもたちに、安定した生活、基礎教育、職業訓練などを保障し、将来自立して社会で生きていく事ができるようにする事を目的としている。首都ルアンダの北東60kmに位置するベンゴ州の州都カシト(Caxito)と、中部のアンゴラ第二の都市ウアンボ(Huambo)にあり、それぞれに約50人の十代の子どもたちが寮生活をして暮らしている。近隣地域からも通学生がカシト校で250人、ウアンボ校で700人、施設内の1~8学年までの学校に通う。
 「子どものまち」を取材する機会を得た今回、ポートレートやスナップの撮影と並行し、生徒一人ひとりにインタビューを行った。これは本当に素晴らしい体験だった。個人が自分を語る言葉には独特の重さと温度があった。一ヶ月半の滞在中、言葉を交わすほどに、彼らがアンゴラの戦争孤児という括り以前に、私たちと同様に当たり前の幸福を求めて今を生きる一人の人間である事に気付かされた。以下では、彼らの発言を中心に書き進めていこう。

----日々の暮らしの中で一番幸せを感じるのはどんな時?
 「勉強して、常に前に進んでいる時が一番幸せです」(ゼ・フライ 16才・5年生)

 「やっぱり一番幸せなのは勉強している時です。勉強する事で自分の明日っていうのが開けるし、なりたいものにもなれるからです」(ダミアン 13才・2年生)

 「学校に行けるっていう事です。学校に行けて勉強ができるっていう事。子どものまちにいる事で大事なのは生活が楽しいかとかより、沢山勉強するって事ですから。ここではやりたいだけ自由に勉強できるんです」(ラシェル 16才・6年生)​​​​​​​
 インタビューに取りかかって、すぐに面喰らったのがこうした発言の数々だった。アンゴラでは学校に通える事は当たり前の事ではないという事は承知していた。しかし、この質問に対する十代の子どもの答えとしては、あまりに優等生的ではないか。私が外国人だという事で、かなり背伸びをして答えているのだろう、最初はそう考えた。しかし、さらにインタビューを重ねるうちに、彼らの言葉は、純粋に心からのものなのだと気付かされた。多くの子が次の質問に対しても、勉強のことですと答えるのだ。

---いま一番不安を感じているのはどんな事?
 「やっぱり勉強の事です。勉強が好きなんです。勉強すればきっと未来が開けます。だから不安っていうより、それで頭が一杯っていうか」(ラシェル)
 「だって教育がなかったら、頭の中が空っぽで、市場で麻袋を担ぐ荷曳き人夫くらいにしかなれないじゃないですか。なりたいものになりたいと思う事すらできなくなって、自分の未来がロクでもないようなものになってしまいます。だから勉強の事が一番気掛かりです」(ディスティーノ 12才・3年生)
NGOの施設で就学と安定した生活を保障されている彼らは、かなり恵まれている部類に入るだろう。しかしここに辿り着くまでの間、彼らの多くは路上生活をしたり、あちこちの施設を転々として、学校に通う事はおろか、明日の暮らしさえ不確かな毎日を過ごしてきた。そして、18才になったら皆ここからたった一人で社会に出ていかなければならない。職を得るための公平な機会など望みようもないアンゴラで、コネも、頼るべき親族もいない、まさに独りぼっちの孤児である彼らにとって、頼りにできるのは自分の身体と頭だけだ。
 「こういう施設にいられるって事は、それだけ今後にもチャンスがあるっていう事だから。だから、いま僕は十分幸せです」(ミト 16才・6年生)
 学校に通えるという事は正に「将来へのチャンス」なのだ。途上国の子が学校に通えて嬉しそうな様子を伝えるレポートを、これまで日本のテレビなどでも何度も見てきた自分だが、学校に通うという事が疑問の余地もないほどに当然という社会に育った自分は、彼らの「嬉しさ」がいかに切実で真剣であるのかを初めて本当に理解させられた。
 内戦の終結、すなわち平和も、勉強する事への意欲を後押ししている。戦時中、子どもたちを学校から遠ざけていたのは、教員や学校の不足も然る事ながら、将来の事を考えられないという社会状況だった。教育は将来への大きな投資ではあるが、明日の食事を確保する事には何の役にも立たないものだ。独立以来の内戦、結ばれては破られる停戦協定の中、将来の夢を語る事がまさに夢のような絵空事でしかありえなかった時代、多くの子どもが学校よりもその日の暮らしの為に働く事を求められた。
 しかし、平和が訪れた今、「将来」は夢想するものから現実の目標になったのだ。教室には様々な年令の子どもたちが、内戦で失った時間を取り戻すかのように一緒に勉強していた。16才の小学6年生、12才の3年生なんてざらだ。だけど、誰もそれを恥ずかしがったりする様子はない。
 「もう戦争はないですよ。戦争の事はこれ以上考える必要ありません。勉強の事と自分の将来の事や仕事の事を考えて、それ以外の事に気を取られることはもうないんです」(ネリート 14才・6年生)
 長い戦乱の時代が終わり、待ち望んだ平和を手に入れたアンゴラ。その平和をどう根付かせ、育てていくかは、間もなく社会に出て自らの未来を切り拓いていく彼らの肩にもかかっている。

 ---あなたはどんな大人になりたいですか?
 「これから暮らしていくそれぞれの場所で、誰に対しても礼儀正しく接する、そういう大人になりたいです。人を敬う心を持って、人と調和をはかっていかないといけないと思います」(マン・フェーラ 17才・卒業生)
 「社会のみんなの役にたつような仕事のできる、いい人間になりたいです。世の中を乱すような人ではなくて、いい世の中を作ることの役に立つような人間です。何年も何年も続いた戦争で傷ついてしまった僕らの国を、新しく作っていくことができるようにです。そういう大人に将来なりたいです」(アドリアーノ 17才・6年生)
 彼らの未来への意志がやがて花開き、アンゴラの新しい時代を鮮やかに彩っていくことを願い、見守り、そして必要な時には手を差し伸べていきたいと思う。今日も彼らが確実にこの同じ地球の上に生きている事は、私たちにとっても大きな希望なのではないだろうか。

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